風営紳士録2.0

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「自称」憲法学者と「公称」政治家

喧嘩口上としての「自称」

 

皆さん、こんにちは!

東京都新宿区の風俗営業専門やたべ行政書士事務所です。

国民民主党の玉木雄一郎議員が、立憲民主党の小西議員を「自称」憲法学者と紹介して話題となっています。

衆院憲法審メンバーを「サル」に例え、その後の記者団質疑において「私は憲法学者だ」と発言したことから、玉木議員に煽られるに至りました。

あえて「自称」と付けて紹介するとき、「公称」と認められていないけどね、という皮肉が込められていることが殆どです。

わざわざ国会議事録として残る場面で、「自称」と紹介したのは玉木議員としての痛烈な皮肉が込められているのでしょう。

 

 

「自称」を巡る承認欲求

 

憲法学者を「自称」する人はかなりレアだと思いますが、我々の周りでも承認欲求としての「自称」人間はいますよね。

もっともありがちなのが、「自称クリエイター」や「自称インフルエンサー」などでしょう。

定量的な数値や客観的な基準で決まらない分野では「自称」が増えます。

ラップのMCバトルなどでも、「お前ごときが名乗るんじゃねー」といったニュアンスで「自称」はディスられます。

玉木議員からラッパーまで、「自称」で相手を煽る時、実は煽っている人自身も自意識が強い場合が多いですよね。

「お前ごときが憲法学者だと!?」
「お前ごときがクリエイターだと!?」
「お前ごときが専門家だと!?」

実はこうした言葉の裏には、その道に対する愛や尊敬があるからこそ出てきてしまう喧嘩口上なんでしょうね。

学問や音楽の世界だけでなく、スポーツや茶道、華道など、その道を究めることをライフワークで取り組んでいる人は往々に謙虚になるものです。

どの道も究めようとすれば、自分より優れた先達がいることを嫌でも思い知らされるものです。

小西議員はもちろん、玉木議員もまた、憲法学を愛する人なのではないかなと想像してしまいました。

 

 

「である」ことと「する」こと

 

ところで、小西議員は「国会のクイズ王」の異名があるのをご存知ですか。

今から10年前の2013年の故・安倍前総理に対しても、「芦部信喜さんという憲法学者ご存じですか?」なる質問をしています。

芦部信喜先生は、もっとも有名な憲法学者であり、著書は『芦部憲法』と呼ばれ、法学を学ぶ者なら一度は手にしたことがあるはずです。

憲法改正を目指していた安倍前総理に対し、ジャブとして芦部クイズを出した小西議員ですが、実はこの頃から「憲法学者」としての自意識をもっていたのかも知れません。

残念ながら安倍前総理はクイズ不正解でしたが、これに正解していれば憲法に明るい政治家と言えるのでしょうか?

芦部先生は東大で教鞭をとっていたことから、片山さつき議員が「私は直弟子です!」とマウント合戦が始まったそうです。

ただ、こうした「知っている・知らない」、「取得している・していない」といったデジタルに決定されることは、「である」ことと言えるでしょう。

東大出身「である」、財務省出身「である」、年収3千万円「である」など。

一方で、学者というのは研究活動をすることを生業としています。

博士をもっているから、教授職にあるからといった「である」だけでは足らず、学者でありつづけるよう研究「する」ことに本質があります。

この【「である」ことと「する」こと】というのは、民主主義において重要な考え方です。

丸山眞男の『日本の思想』(岩波新書)に掲載された評論で、是非一読をお勧めします。

 

 

「である」議員と「する」議員

 

煽り用途の「自称」は、「である」ことで止まっちゃっている人にこそ向けられるべきかも知れません。

国家資格は、資格取得しなければ独占業務が行えない「である」ことの代表でしょう。

ただ、お客さんが専門家を選ぶときというのは「である」ことよりも、「する」ことが重視されます。

どんなに資格をもっていても、お客さんの課題を解決「する」ことができなければ専門家に依頼する意味はありません。

その意味では、資格などによって法定業務にされていない分野では、「する」ことこそが大切ではないでしょうか。

もちろん、資格業務であっても専門の研鑽など「する」ことを続けなければいずれ信用を失います。

「である」ことにあぐらをかかず、常に「する」ことに拘り、成長しつづけること。

そうした前向きな姿勢を維持するための「自称」なら、大いに結構ではないかと私は思います。

これが如実に求められるのが民主主義における議員でしょう。

選挙に当選すれば議員「である」ことになり、小西議員も「公称」政治家としては疑いがありません。

ただ、議員の場合は「公称」だけでなく、活動「する」こと拘った人こそが政治家に値すると思います。

もうすぐ統一地方選挙が始まりますが、街にはわらわらと「自称」政治家に値する候補者が現れます。

活動「する」信念をもった候補者にこそ、堂々と「自称」立候補し、「公称」政治家になって貰いたいですね。

 

 

新宿区議会の「する」若手議員

 

新宿区民の生活と安全を脅かす脅威となりかけたColabo問題。

新宿区において、このColabo問題に切り込んだ一人会派の伊藤陽平新宿区議会議員。

Colabo問題の賛否・立場はそれぞれの正義があり、軽々しく結論づけることではないかも知れません。

ただ、こうして公開の場で議論していただくことが区民の信頼に応える活動ということは疑いようがありません。

自身のことだけでなく、他の議員の取り組みも情報発信しており、まさに活動「する」ことに拘った議員です。

思い付きの政策提言か、信念をもって訴えているか、選挙民は必ず見ています。

炎上上等、新宿区の未来のため燃えて燃えて燃えまくってください!

やたべ行政書士事務所は風俗営業に携わる皆さんをいつでも応援しています!

それでは、また!

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